3月、保良訓練場 南ゲート前

映画の撮影で三上智恵監督が保良訓練場ゲート前に来られました。

駐屯地が作られても、どうして抗議活動を続けるのか?
上手く伝えられたでしょうか。

語るべき相手は、自衛隊でも防衛省でもなく、島の人たちへ。
なぜなら、本当に島の人たち皆が思いを一つにすれば、そうして声をあげれば、現状を変えていけると信じているからです。

これは民主主義の話。
声をあげても変わらないと思い込まされて、どうせ抗っても進められるという思いで、今日の今日まで来てしまった。
でも本当は、みんなで声をあげれば世の中は変わっていく。

戦後も宮古島に在来馬が残っているのは、戦時中に提供を求められた馬たちを、これがなければ生活ができないと人々が譲らなかったから。
260年続いた人頭税も、宮古島の農民たちが帝国議会に嘆願書を提出したから。

世界は変えられると信じることがなければ。
あの時、思い込んで諦めてしまっていたら。

私たちはもっと、成功を語らなければいけないのかもしれません。

ヘリ訓練の予定があった保良訓練場を、沖縄防衛局まで行って、メディアを前に事前説明にない訓練だとと指摘をして、訓練通知書からヘリ訓練の記述が取り下げられたこと。

今年1/13に下地島空港に訓練の通知をした海兵隊が、最終的に取り下げたのも、日々からあがった反対の声があり、沖縄県が屋良覚書を遵守するよう求めてきたことがあると思います。

無駄な抵抗だと思ったことは一度もないのです。

台湾有事が5年後とアメリカが示唆する中で、宮古島に10年後さえあるだろうか。
でももし20年後、30年後と島にある生活を受け継いでいくことができたら、そこに民主主義がきちんとあるように。

民主主義とは、人の声が大事にされることです。
大事にされることが分かっているから、一人ひとりが声をあげていくことを躊躇わない社会。
もちろんそこで権利や利害の衝突が起こる。
でも、偏った誰かのためではなく、なるべく大勢の人が幸せになれるような答えをみんなで見つけていく社会。

人を大事にして、次の世代を育て、地域資源を繋いでいく社会。

台湾を中国に武力併合させまいと威嚇をする。
そのミサイルを置くのに、宮古島でなければならない理由はどこにもないのです。
そんなミサイルを、こんな小さな島に置く。
5万5千人の島に負わせるには、あまりに非人道的です。

ひとたび有事なら離島の犠牲は国防のコストだと、島ごと使い捨てにされていきかねない。
私たちは大切にされない。
私たちの声は大切にされていない。
島にある生活も、歴史も、風景も、国防の名のもとに費やされていきかねない。

この島にどんな歴史があって、どんな言い伝えがあって、どこが島の神聖な場所で。
そんなことが押し流されて、無かったことにされていかないように。

平和は想像するもの。
人類の長い歴史で近代民主主義を選んできた私たちは、まだまだその途上にいて、そのことを諦めない。
人が人を大事にする社会。
お互いが未来に向かって協力することが当たり前の社会。
もっともっと想像していきたいです。