年度明けて4月1日、那覇・国際通りで行われたインクルーシブな社会づくりを目指すパレードへ参加してきました。
100人を目標にしていたそうですが、予想を超えて160人の参加があったということで、色とりどりのコスチュームで華やかなパレードになりました。
歩道から撮影をする人、手を振る人など割合みなさん注目されていましたね。
パレードを見る人の目はそれぞれだと思いますが、心が通い合う機会になるといいな、と沿道に向けてたくさん手を振りました。
2014年4月1日「沖縄県障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会づくり条例(共生社会条例)」が施行されました。
国の「障害者権利条約」批准(2014.1.20)と歩調を合わせた県条例制定、そこにも沖縄で声をあげ、尽力された皆さんがいたのですね。
今回の10周年記念式典は当時を振り返りながら、しかし「あれから社会は変わっただろうか」と問いかけ、沖縄こそ先進地にしていこうと呼びかけるものでした。
10年前、そしてこの10年間、絶やすことなく続けてきた努力の分、底力の感じるパレード・式典でした。
式典での当事者の発言は、高校生の男の子から、また宮古島からも発言がありました。
普段の思いを言葉にすることや、それに真摯に耳を傾ける時間の大切さを感じました。
また今回は、宮古島の自立生活支援センターまんた事業所の皆さんと飛行機やモノレールにもご一緒させていただきました。
空港でもモノレールでも、スタッフの方がさっとお手伝いくださっていました。
パレードや式典でも感じたことですが、車いすやストレッチャーで参加する障害者の方以外にも、介助者として付き添うヘルパーさんの姿もありましたが、その場にいる人がみな当事者という雰囲気がありました。
インクルーシブ社会を目指すことへの思いの強さがあって、またそれを支える人たちが関りあっていく。
けれども同時に本当は、飛行機に乗るにしても誰かの手を借りなくても乗り降りできる、バリアのない導線を目指していくことも必要なのだろうと思いました。
県民広場に集った皆の深い愛情を体中に感じるのと同時に、誰かの特段の配慮だけに頼らない社会づくりをこそ目指していくべきなのだろうと、そんな真反対の思いを感じていました。
ホテルまでの帰り道、交差点の段差に車いすが立ち止まってしまうと、通りかかったサラリーマンの方がさっと手を差し伸べて、手助けしてくれました。
障壁のないまちづくり、社会づくりを目指していきながら、困っている人がいたら、当たり前に助け合う。
当たり前のことが難しく感じてしまうこともあるこの頃ですが、旅とパレードを通して、大切なことを体験できてとても良かったです。