山本太郎とおしゃべり会 in 宮古島

2月10日、れいわ新選組山本太郎さんが来島されて、おしゃべり会を開催しました。
実は今回、宮古島二回目のおしゃべり会です。

前回マリンターミナル大会議室での開催でしたが、80人集まればいっぱいになる会議室から、今回はマティダ市民劇場へ会場を移して、大きなステージでのおしゃべり会となりました。

衆院選沖縄4区の革新側の候補者が定まらない中で、れいわ新選組からの候補者もオール沖縄の選定委員会に名前が挙がっており、状況が膠着する中で迷いもありましたが、自分自身の見識も広げたい思いもあり、参加してきました。

結論から言うと、参加して良かったです。
普段あまり聞く機会のない、比較的若い人たちの考えを聞くことができました。

消費税減税を政策に挙げているので、経済の質問が多そうと思っていましたが、意外と挙がったのが台湾有事とその対処についての質問でした。

とくに共通して感じられたのが、「台湾有事が避けられないなら、国民保護をしっかりしてほしい」として、「シェルターをつくること」「補償を確約すること」などの意見が出ました。

山本太郎さんは「シェルターに5万5千人が入れるの?自分が入れる側になると思っている?あとどれだけつくれば5万人がシェルターに入れるようになるの?」と問いかけていました。

宮古島に造られる「シェルター」は、メディアの言葉です。市が計画しているのは、地下駐車場付きの市総合体育館、あくまで一時避難の地下避難施設です。*1

収容人数4500人、3日間過ごすことを想定しています。発表当時、説明を受けた市議からは「入るのは先着順か」「4500人トイレは大丈夫なのか」「空調くらいつけたらどうか」など意見が飛び交いました。

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今回のおしゃべり会は動画もあるので、ぜひ見てみてくださいね。

いくつかの質問を通して強く感じたのは、私たちや、私たちより若い世代は、自らの手で社会を変えていけるという希望を、あまり強くは持っていないということです。

今の自分が置かれている制度を受け入れて、その中で少しでも損をしない、ベターな方法を選りすぐろうとする賢さを求めているように感じられました。

回答を通して山本太郎さんが話されていたことは、なぜ山本さん自身が政治家の道を選んだのか?ということにもつながっているように感じました。
それは、「自分自身が行動する当事者になって、社会を変える」ということです。

以前、マリンターミナルでお話された時よりもずっと熱く回答されていましたね。
繰り返し「なぜ今の状況に置かれて、それでも国が信じられるのか」と話されていました。

山本太郎さんの言葉は少し荒いですが、個人的には同意があります。

例えばインボイス制度が導入されていく中で、私も常任委員会内で「個人事業主が多い宮古島では大きな打撃になる」と述べたことがありましたが、他の委員からは「国が方針づけることに市議会が反対できるのか」というような意見などあり、基本的なところで「国がやるのだから」という考えが市議会にも根強くあるように感じられます。

けれども私たちの住む地域にとって何が利益になるのか?は、必ずしも国の方針と一致するわけではなく、とくに明らかに各方面から異議が挙がっているときには、私たちの地域にとって本当に利益になることは何か?を慎重に見定め、必要な場合は要請しなければいけません。

仕事でも、中間業者や下請けを経験すると分かると思うのですが、無理な仕事は断らなければ事業自体が失敗してしまうことがあります。
そうした現場を経験すると「上から降ってきたものたから粛々と請ける」のではなく、「私たちにとっての利益」が何かを厳しく査定しなければならないと体感的に気付くのです。

山本太郎さんの言う「国をそのまま信じられるのか」は、私なりの感覚で解釈すると、そういうことかなと思っています。

また関連して、例えばモノづくりや、プログラミングを学んでいると「自分で仕組みをつくる」ことに少なからず実感を持てるのではないかということも考えました。

私たちの社会は大きな仕組みで動いていて、一個人では物事を変えられないように感じてしまいがちです。
けれども実は一人一人が地域をつくる担い手であり、地域で意思表明すれば、それは尊重される意思となっていきます。
この小さな「社会を変える」経験が積み重なっていけば、それは地域を変え、行政を変え、国を変えていきます。

台湾のデジタル大臣オードリー・タンさんが、プログラマーでありながら、台湾の人々が社会に積極的に参加していく仕組みを作っていくなどして、民主主義の担い手であるように語られるのも、繋がりがあるように思っています。

今の私たちの国は、国民にあまり社会や政治に参加してほしくないのかもしれません。
一方で若者たちも、国の望む通りになって、不利益を押し付けられる社会の仕組みを「仕方がない」「何か言っても変わらない」「みんな我慢している」と受け入れて、その中でも自分が少しだけ損しない場所にいれるように努力するという発想になっているように思います。

不利益は変えていかなければならないのです。
米軍基地があるために、沖縄の物流が阻害され、産業発展が抑制され、基地と観光という外からの要素で収入にしていく島になってはならないのです。

かつての沖縄における経済特区がうまくいかなかった理由はなぜなのか、検証も必要です。
沖縄が本来内在する力で発展していくために、どんな産業が必要でしょうか。
そのために産業を阻害している要因はなんでしょうか。

こうした大きな変革を起こすためには、沖縄県民のための利益が何か?について、もっと大胆に学び、発想していくことが求められます。
それは「国が言うことには疑問をもたずに従う」という視野では成せないと思うのです。

そんなことを、今回の「山本太郎とおしゃべり会」では考えされられました。

*1:宮古島市は「シェルター」という表現を否定はしていません。しかし国がシェルターの定義も基準もない現段階です。防衛予算が財源であることから、やむをえない政治事情なのでしょう。