1/28 講演会「加速する戦争準備~日本は台湾を守るために中国と戦うのか」

那覇市古島の教育福祉会館で、布施祐仁さんを迎えての講演会があり、意見交換のスピーカーとして参加させていただきました。

昨年9回も沖縄に足を運ばれているという布施さん、離島の事情についても的確でした。
軍民分離の原則に則れば、有事の際に機動展開前進基地作戦(EABO)を展開するには、住民は島にいることができないのです……。

また昨年行われた石垣島での日米合同訓練も、島に駆け付けて取材したのだそうで、石垣駐屯地部隊に地対空ミサイルを配備しながら、米軍レーダーの展開訓練をおこなうことは、米軍の指示系統のもとで自衛隊が動くことを示唆しているといいます。

幾度となく沖縄に通って取材されたことが伝わる講演でした。

後半はASEAN東南アジア諸国連合)について、東南アジア諸国が対話による紛争予防をしてきた実績など紹介され、言葉では「対話が大事」「地域安全保障が重要」など言っていても、細かな実績を知らない自分に気づかされました。

お互いが対話ができる相手であることを常に確認しながら進んでいくことが大切ですね。
そのために、具体的にどういう取り組みをしてきたのか。
また、今後していけるのか?について、想像させるとても重要な講演内容だったと思います。

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講演部分、動画も届いていますので、ぜひご視聴ください!

講演の後は意見交換会
遺骨収集ボランティア(ガマフヤー)の具志堅隆松さんと、宮古島の状況を伝えるということで私も参加させていただきました。

私からは、宮古八重山の配備の状況、石垣の日米合同訓練はじめ急展開に進む配備拡張や、与那国の樽舞湿原のお話なども少ししました。
国土を戦場にしてはならない、それが政治家の役目という趣旨のお話が布施さんからもありましたが、全く同じ思いです。
地方自治の長は、その土地を戦場にさせないよう努めるのが責務ではないでしょうか。

加えて国際人道法「軍事目標主義」にもとづけば、民間空港を自衛隊が利用するなら、そこは攻撃対象になること。
攻撃対象となる軍事と、保護対象である文民を分離すべしとする「軍民分離の原則」にもとづけば、自衛隊が空港を使う以上は、そこは国際法上の保護対象とはなり得ず、国民保護は行えないことなどをお話しました。

また具志堅隆松さんは、近く9棟の弾薬庫が造られようとする大分県・敷戸へ行ってお話をする予定があるということ。
戦争をしない選択は、自衛隊の若い隊員たちの命も守るのだとした言葉は、広く全国で共有できるものだと思います。

沖縄のおかれている状況を国際にうったえようと動くことでたどり着いた、国連の「少数者の権利宣言」のお話も、大変興味深く拝聴しました。
言語や文化を奪われず、住まう土地を奪われてはならない。
また、その土地で軍事活動をおこなってはならない。

平成20年には国連より「アイヌ民族および琉球民族についての国連人権委員会勧告」も出されています。

2022年11月には再度、沖縄の人々を先住民族と位置付けて権利を保障するよう勧告。
提起すれば、国連はきちんと調査してくれるのだという具志堅さんのお話がありました。
そのために何が問題となるのか、情報などまとめて、引き続き調査をしてもらえるよう求めていくことが大切だとおっしゃっていました。

今年1月7日にオリバー・ストーン監督など400人が声明を出したということもあり、また先日にはスウェーデンから大学教授ら2名が辺野古の抵抗活動を学びたいと来島しているという報道がありました。

問題に近い人ほど、問題が見えなくなっていたりします。
海外からの視点を通して、現状の沖縄や島嶼部のおかれた状況を見てもらうということは、大切なことのように思います。

宮古島に配備が始まって5年が経とうとしています。
活動に閉塞感を覚えることもありますが、ASEANの取組みに学ぶこと、アジアの国々とともに次の時代を見据えていくことや、国際社会にうったえていくことなど、明るい展望も開けた講演会となりました。

 
今回、主催となったノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会の新垣邦雄さんが、すでに空自と併用している那覇空港について、さらに軍民共用が進もうとしていること、国際人道法との整合性を問うお話をされているところに、私から長いメールをお送りしたのがきっかけでした。

問題意識を拾っていただいて、今回の会に繋げていただいて感謝しています。
今回得られた新たな論点を明確化しながら、次の取り組みにつなげていきたいと思います。

※当日配布したチラシです。宮古島市議会でのやりとりなども記載しています。
 
 
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国連勧告を受けて、宮古島市議会でも「沖縄の人は少数民族ではない」という陳情書があがり、可決されてしまったのですが……。
少数民族か否かに議論があるとしても、なぜ少数民族のための権利宣言がおこなわれたが背景を見れば、そうしてまで守らなければ権利侵害されてしまう状況があると思うのです。
この構造が見えない人には見えないということが、こうした問題の複雑さでもあります。

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