下地島県有地における耕作地について県への要請

宮古諸島は、宮古島のほかに、周辺7つの島を含めた島嶼群です。
宮古島に次いで大きな伊良部島と、寄り添うようにあるのが下地島。現在は、下地島空港があるほかはサトウキビ畑が広がる島となっています。

琉球政府時代のパイロット訓練飛行場建設

下地島は古くは人々の住まう集落があったと伝えられますが、幾たびかの津波の影響で伊良部島へと移り住み、近世の頃には牛や馬の放牧場となっていたようです。

米軍統治下の琉球政府時代に、日本政府によるパイロット訓練飛行場の建設計画が浮上。将来、軍事転用される懸念から反発が起こり、人々が分断され深く傷つけられた時代がありました。

下地島空港(飛行機から撮影)

当時、宮古島で反対活動をしていた団体の手記を読ませていただいたことがありますが、宮古島から飛行場建設を推進する派閥の人たちが島に渡り、島内は相当強い圧力の中で空港建設の是非を問われたようです。

最終的には、屋良朝苗主席が飛行場建設を受け入れ、その代わりにパイロット訓練と民間利用に限るとした「屋良覚書」を日本政府と交わして、辛い状況ながら平和利用の一線は守った形になりました。

飛行場建設のため県へと土地を売ることになった島の人々は、島の土地をすべて買い取ることを条件としました。琉球政府はこれを承諾して、政府が使用する日まで耕作を認めること、しかし明け渡し時には補償をしないことなど記載された確認書を交わしました。

下地島空港県有地の利活用と農業

本土復帰後、下地島空港残地はすぐに活用とはならず、近年になってようやく事業計画が持ち上がりました。
沖縄県は空港をのぞく下地島の土地を三つに区分し、①航空関連ゾーン、②観光リゾートゾーン、③農地的利用ゾーン(市有地)として、今後、利活用を進めていく方針です。

しかし50年間、これらの土地はサトウキビ畑をはじめとした耕作地として、元の所有者たちが農業を営んできました。
また伊良部島はカボチャの栽培も盛んです。潮風がミネラル豊富な土壌をつくり、ふかふかと土も深い伊良部島のカボチャはとても出来が良いのだそうです。

国土地理院ウェブサイトを利用して作成(県担当課の聞き取りをもとに:作成者下地)

伊良部島を隣にして下地島でもサトウキビに限らず、カボチャやオクラ、牧草などの畑が広がり、サトウキビだけでも年間1憶3千万を超える生産高を上げています。

しかし県が事業を進めるため、令和5年度いっぱいで下地島県有地の耕作ができなくなることになり、土地が無くなれば生活の手段を失ってしまう農家もいるという中で、何とか耕作を続けさせてもらえないかという声があがっています。

取り決めをしてきた行政上の問題で考えれば、耕作者に分が悪いのは確かです。それでも私は、歴史のいびつさがいつも末端の人々に覆いかぶさるように、50年前に無理にこの土地を人々から引きはがしたことが、今日に響いているのではないかと思えてならないのです。

宮古島市議会として県への要請と今後の課題

耕作者の有志の方々が県へ直接要請をされているのを見て、これはきちんと宮古島市が耕作者に向き合ってくるべき案件ではなかったかということを感じ、そのことを9月議会で述べさせていただきました。

この土地の生産高は、そのまま宮古島市の農業生産高の実績です。そういう観点からも、宮古島市の方針としてどうすることが良いか、耕作者としっかり会話をし、認識を合わせて方針を定め県に意向を示さなければ、県としても動きようがないと思います。

県庁へ要請に行きました!

しかし、どんな案件でも実際の利害関係の調整はかなり大変です。沖縄県が3年に1回、明け渡しの確認書を送付している対象者は156名ほどいて、そのうち提出者が88名。うち通知未達10名をのぞいた58名に、明け渡し合意の確認がとれていません。

およそ58人を話し合いが必要な人数と想定すれば、対話の上の調整ができるどうか、検討することも可能ではないかと思うのです。そういうようなことから有志の会からは、「現状調査をおこなうこと」「意向調査をおこなうこと」の二つを県に要請しています。

下地島県有地については、市議会でも何度か取り上げられています。また令和4年度9月定例会では、宮古島市議会から要望書を県へ提出しました。

この流れを汲んで、今回、宮古島市議会として沖縄県の土木建築部へ改めての要請を提出しました。県の返答は、耕作者の方々への丁寧な説明を約束するというものでした。また救済というところへも一歩踏み込んだ表現がありました。

目下の課題は、宮古島市が当事者として耕作者と向き合い、市として可能な方針をまとめて、県に向き合っていただくことです。

引き続きできることをやっていきたいと思います。

【参考資料】
▽「下地島空港、建設に至るまでの歴史」建設が決まるまでの紆余曲折や、島内の痛ましい事件にふれています。
shimojishima.com

▽15世紀の文献に初めて「時麻子島」(下地島と推測される)の名称があったことに始まる下地島の歴史について。
www.wikiwand.com