11.23 沖縄を再び戦場にさせない 県民平和大集会 ~ 手作りデザインプラカード

明日はいよいよ奥武山公園での県民平和大集会です。
2月の平和集会をスタートにして、一年足らずで大きな世論に押し上げました。
まだまだ歩みだしたばかりの道のりですが、かかっているのは私たちの未来です。

今年2月の集会の時から、独自にプラカードを作っているのですが、SNSでも報告してはと声がありましたので、これまで作成のものをまとめてみます。

「島々を戦場にさせない!~琉球弧を平和発信の場に!」

2.26平和集会の際にも、実際の集会までに会合を何度も持ちました。
その中で集会のタイトルも話し合われてきましたが、その後メディアやSNSで繰り返し取り上げられることになった「強い言葉」と前向きな言葉をめぐる意見も、この中で出てきました。

反対!撤回!という言葉では、せっかく参加したいと思う若い人たちがいてもひるんでしまうと、愛や平和、対話外交などの言葉を使っていきたいとした意見に、今まさに配備の進む離島では必死の抵抗をしているのに悠長すぎるという意見が出ました。

私からは、愛や平和という言葉は、島のおじいおばあたちが自分の言葉として受け止めるだろうか? もっと生活と結びついた言葉が望ましいとしたうえで、はっきり伝える言葉と、共感を広げる言葉の二つを本タイトル・サブタイトルのように併存できないかと話しました。

議論がしばらく続いた後に、別の方が「島々を戦場にするな!沖縄を平和発信の場に」ではどうかと提案して、会場の拍手をもってタイトルが承認されました。

「戦場にするな!」と明確な言葉と、「平和発信の場」と、前向きで次の行動をうながす建設的な言葉が入っており、様々な考えが出た中で、それぞれの意見を活かす形でまとめられたことは、とても良かったのではないかと思っています。

作成したのは勝手プラカードなので、少し言葉を変えて「島々を戦場にさせない!琉球弧を平和発信の場に」としています。

「島々を戦場にさせない!~沖縄を平和発信の場に!(争うよりも、愛しなさい)」

目立つ黄色のプラカードとは別にもうひとつ、平和と対話を想起させる柔らかいイメージのものを作成しました。
大会運営委員会で横幕やのぼりを作る際に、いくつかの言葉を候補として挙げている中で、若者たちの選んだ言葉「争うよりも、愛しなさい」が提案されて、スローガンのひとつに採用されたという経緯を聞きました。

沖縄のラッパーが歌う「うむい」(想い)という曲の一節であることは、様々な場で話題にのぼっているので、改めて話すことでもないと思いますが、この言葉に寄せて作成したプラカードです。

「安保(関連三文書)粉砕」

じつは個人的には強い言葉も使っていきたいのです。

LINEグループで夜も遅い時間に「安保粉砕!」と投稿した方がいました。
ご本人は小柄で可愛らしい方なのですが、安保闘争時代の心を失わず歳を重ねられ、今でも平和運動の場に駆けつけてくれます。

そこで2.26平和集会に合わせてプラカードを作り、当日は彼女に持ってもらいました。
この集会は海外からの取材カメラも入っていて、後日見たものでは、「安保(関連三文書)粉砕」の文字を長々と映しているメディアがありました。

「漢字は海を越える」と感じた瞬間でした。

「(配備以前に)軍民分離の原則を遵守せよ」

11.23県民大集会に向けて、新たに追加して作りました。

2月の集会から半年が過ぎ、何を焦点にすべきか変わってきているとも感じています。
例えば報道カメラに映ることがあった時に、どんな言葉を伝えたいか?と考えて、「軍民分離の原則」を訴えるべき時期に来ているのではないかと思いました。

背景にはジュネーブ諸条約追加議定書の第四十八条、五十八条を薄い青字で載せています。
現在進められる軍事化にかかるジュネーブ条約の重要な条文は他にもありますが、紙面の都合もあり、この二つを取り急ぎ選んでいます。

「配備以前に」としたのは、配備以後「軍民分離の原則」を持ち出してきかねないからです。
今後の配備強化が進められる以前に問われなければならないと考えています。


「私たちはこの島で未来をつくる(島じまを平和の緩衝地帯に)」

しかし「軍民分離の原則を遵守せよ」では、少しマニアックすぎるようにも思います。
分かる人には分かっても、少しだけ関心がある人たちには、響かないような気がします。

そこで補足的に作ったのが、「この島で未来をつくる」としたメッセージです。
結果的にこの言葉が、私が2月に意見して言った「生活につながる言葉」に近いと思います。

最近は宮古島でも配備に関わる話をしていると、「島に残るという選択ができるのだろうか」という不安と、「今さらどこにも行かない、ここに残る」という人と。
「この島に生き続ける」ことが隠れた一つのテーマになっているように感じています。

そうした中で、イスラエルガザ地区をミサイル攻撃するという事態が始まりました。
国家によって生活の土地を奪われるということに、私たちの島々を重ねずにいられません。

ガザの解放と生きる権利を主張するいくつもの言葉の中にも、「私たちはこの土地で生き続けるのだ」とする言葉がありました。

生きる土地を奪われない、故郷で生きる権利を奪われない。
その思いに重ねて、このプラカードを作りました。

遠めにみると、いちばん見えにくい配色ですが... 水彩の海の優しい印象を優先しています。