国立療養所宮古南静園は、ハンセン病の元患者の方々の生活の場でもあり、現在は園の歴史をまとめた歴史資料館の運営もおこなっています。
歴史資料館では講話やフィールドワークなどプログラムを組んで、園外からの見学者を受け入れています。
夏の日差しは残るものの、朝夕は少し涼しくなってきた秋の季節。市内中学校の児童生徒が来園する園内見学会にお手伝いに行ってきました。
コロナ感染症の懸念も残る今日この頃、2つのグループになって資料館見学と講話、フィールドワークのコースに分かれての見学会となりました。
園内の史跡を巡りながらハンセン病と園の歴史にふれます。
ガイドを務めるのは、もともと園に暮らしていた上里栄さん。
紺碧の海のそばにたたずむ美しい集落を、坂道を登りながら見晴るかし、この場所がもつ記憶の名残に垣間触れます。
空爆の激しくなる太平洋戦争末期の頃、園は壊滅状態となり、入所者は攻撃を逃れて雑木林に逃げ込みました。
話に聞き入りながら、当時の職員宿舎に残る弾痕に手を伸ばしてふれてみる子どもたち。
この場所を戦争の史跡として後世に残したいのだと、弾痕壁を前に、ガイドの上里さんの強いメッセージがありました。
宿舎跡に残る戦争の傷は、島の戦争の記憶そのものです。この傷にまつわる多くの痛みが込められているようにも感じられます。
宮古南静園のガイドブックには41のポイントが紹介されていますが、一時間ほどのフィールドワークでは場所を絞り込んで案内をします。
フィールドワークの最後に向かう見張り所跡は、高台から園と砂浜を見下ろす場所にあります。昔は生えていなかったというモクマオウの木が、今は眼下を遮っています。
園の職員一人ひとりは、入所者に対して寄り添うところもあったと上里さんは言います。
しかし、その一方で、入所者が園から逃げないようにと見張り台を作り、監視をする。
ある時は親しい職員が、ある時は入所者を人として見ないような冷たさを持つ。そのお話には、怒りや憎しみはなく、悲しみがあるように思いました。
同じことを繰り返してはならないという思いが、解説をされる上里さんの言葉の中に強く感じられました。
フィールドワークの後は暑い日差しから逃れて、涼しい室内へ。
歴史資料館での見学と、「沖縄ハンセン病回復者の会」共同代表の知念正勝さんによる講話です。
二つのグループがそれぞれ歴史資料館見学とフィールドワークを終えると、最後は堕胎された子どもたちの供養塔へ集まり、当時の話を聞いたあと、全員で黙とうしました。
晴れていた空に雨雲が流れてきて、秋の冷たい雨を降らせました。草地を隔てた向こうの浜辺から潮風が吹いてきます。
理不尽に奪われた命があったこと。そうと思っていなくても、それに加担してきた人々がいたこと。その時代に生きていたら、私はそのことを理不尽と考えたでしょうか。それとも、国がそう言うのだから仕方ないと思ったでしょうか。
二度と同じことを繰り返さないために、私たちに必要なことは、例え周囲がそう言っても、失ってはいけない大切なものに気付ける強さかもしれないと、そんなことを感じました。