年始にニュースを見ていると、日本の半導体産業についての記事が話題になっており、関連した過去の記事など興味深く読みました。
かつて世界をリードした日本の半導体産業を再興するねらいで、九州の8つの高等専門学校で人材育成へつなげるべく、政府として投資する方針であるといいます。
【独自】「日の丸半導体」復権へ、九州8高専に専門課程…政府方針 : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン
現在、アメリカと中国の間の対立構造が強まる一方で、日本の貿易に占める対中比率は過去最高となるなど、日中関係が緊張すれば経済にも影響が大きく出かねない状況があります。
そうした中で万が一台湾有事なるものへ傾いていったとしても、影響を抑えるために、経済面でも安全保障を講じなければならないとして、政府は2022年、経済安全保障の強化に乗り出すとしています。
私は東芝というメーカーが好きだった時期があるので、半導体産業の経緯についても関心をもってニュースを見てきたこともあり、「日の丸半導体の復権」には、まず日本における半導体産業の歴史を踏まえなければいけないのではないかという思いがあります。
かつて隆盛を極めた日本の半導体産業はなぜ凋落したのでしょうか。
いくつかの記事を読みながら考えてみます。
90年代に入ると、コンピュータ業界にはメインフレームからPCへパラダイムシフトが起きた。これとともに、DRAMへの要求事項に変化が起きた。PC用DRAMに必要なことは、低価格品を大量につくることであった。
PC出荷台数の増大とともに成長してきたのは、韓国のサムスン電子である。サムスン電子は""技術を向上させることによって、(25年保証などは必要ない)PC用の低コストDRAMを大量生産した。そして92年に日本企業を抜いてDRAMシェアトップに立った。"
なぜ東芝は、利益の9割を稼ぐNANDメモリ開発者を辱めて追放したのか?
半導体メモリを『高品質』から、『安価』に作ることへと時代の要求が変わっていた時に、その変化についていけなかったことが半導体産業における日本の敗因でした。
しかし日本の技術者が時代の変化に全くついていけてなかったかというと、実はそうではないんですね。
東芝と半導体メモリといえば必ず名前が出てくる舛岡富士雄さん。'87年、東芝で研究者をしていた時に「小さく、安価で、大容量」のNAND型フラッシュメモリーを開発しました。
そこで、あえて「細かさ」を捨ててすべてのデータを一括で消去するメモリーを生み出せば、低価格を実現できるのではないか。営業経験を積んだからこそ見えた先見だった。"
"'87年、舛岡はついに新しいメモリーの試作に成功。部品を減らしたことで、コストは従来の4分の1に低減。カメラのフラッシュのようにデータを一瞬で消すことができることから、「フラッシュメモリー」と命名した。"
世紀の発明「フラッシュメモリーを作った日本人」の無念と栄光(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
引用した記事は、舛岡氏のNAND型フラッシュメモリーを開発するまでの経緯、そしてその後、東芝を退社するまでの経緯が書かれていて、読んでいて引き込まれる記事です。NHKのドキュメンタリー番組でも流れたようで、ご存知の方も多いかもしれません。
安価な半導体の開発に予算をつけるのは並大抵ではなかったこと。時代を先取りしすぎたか製品化になかなか至らない中、閑職に追いやられた舛岡氏は東芝を退職することを選択します。
舛岡氏の退職後、NAND型フラッシュメモリーはパソコンやデジカメの需要拡大とともに市場を獲得し、2000年代には東芝の主力製品となっていきました。しかし、このとき世界のトップシェアを握ったのは東芝ではなく、韓国のサムソン電子でした。
80年代に東芝の半導体事業を率い、94年に退任した元副社長の川西剛氏は「投資するかしないか、東芝が役員会でもたもた議論しているうちに、サムスンはこれが伸びると信じて投資した。スピード感に差があった」と話す。"
「フラッシュメモリー産みの親」東芝が敗北した真の理由:科学技術立国・日本崩壊の真相(1/3 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン
'87年に舛岡氏がNAND型を開発、功績がなかなか認められない中、'94年に東芝を退職しています。
一方、'92年にサムスン電子はNANDの技術供与を受け、巨額投資に踏み切りました。市場規模9兆円を超えた'01年、東芝はNANDに経営集中すべく、「高品質」なDRAM事業から撤退したのでした。しかし、およそ10年の遅れは大きな差となっていました。
その10年間で工場を1つ作る費用が500億円から5000億円という世界になった。全社の投資額が年間3000億円のところ、半導体に5000億円の投資はできない。"
「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因 | IT・電機・半導体・部品 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
早期に「安価な」半導体メモリへの投資を決定できていれば、投資資金もさほど大きくなく済んだはずでした。半導体開発の最先端にいながら、日本はそのタイミングを見過ごしてしまいました。
これが2000年代初めまでの日本の半導体産業に起きたことでした。
もうひとつ、日本の半導体産業が力を失っていった背景には、'86年からおよそ10年間つづいた日米半導体協定によるところが大きいという話もあります。
米国は30年前と同じ、半導体交渉当事者がみる米中対立: 日本経済新聞
日本の半導体産業は、90年代中頃から世界トップの座をおわれ、海外へ情報と人材が流出する時代に入っていくことになります。代わってシェアを伸ばしていったのは韓国のサムスン電子、台湾のTSMCなどアジアのメーカーでした。
"「90年代中頃から多くの日本人技術者が毎週末、韓国や台湾へ“土帰月来”と呼ばれるアルバイトで日本の半導体技術を教えに出向いた。" "日本は外国に比べて情報管理もまったく厳しくなかった。私自身、多くの日本人技術者が日本の半導体コア技術の情報を韓国に漏らすのを実際にこの目で見ました」"
人材流出で技術が中国、韓国に漏洩…「日本製半導体」が凋落した理由とは | デイリー新潮
'99年、状況を挽回すべく日立とNECの半導体製造部門を統合して立ち上げたDRAM専業企業エルピーダメモリ(NEC日立メモリ)は、スタート時は低迷したものの、徐々に業績をあげていきましたが、2008年リーマンショックや続くサブプライムローンによる金融危機から円高のあおりを受けて危機に瀕し、2012年2月に会社更生法の適用を申請しました。
坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌 | IT・電機・半導体・部品 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
最終的にエルピーダメモリは米マイクロン社に売却されますが、当時の社長だった坂本幸雄氏が「あと1年待ったら利益を出す会社になっていた。」と語っているように、米マイクロン社はこの買収により売り上げを伸ばし、半導体メモリ業界で第2位に返り咲くことになるのです。
こうして経緯を見ていくと、半導体産業において日本が大きな判断の誤りを続けてきたことが分かると思います。
アメリカが国防の観点から日本の半導体産業の拡大を懸念し、「日米半導体協定」を結んだように、半導体産業を「経済安全保障」と見なすなら、投資すべき時に必要な投資をしてこなかった国としての責任は大きいように思われます。
昨今、米中の緊張感が強まっている中、日本でも「経済安全保障」が取り沙汰されるようになってきました。半導体を他国に依存せず自国供給できることは大きな強みになりますが、はたして「日の丸半導体の復権」は可能なのでしょうか。
2021年11月にTSMCとソニーは共同出資で半導体の製造受託サービス会社を熊本県に設立することを発表しました。日本政府も6000億円規模の基金で支援をするそうです。
しかし「TSMCの工場が日本にできた、というだけのこと」であって、日本のメーカーが生産力を取り戻したとは言えないと指摘する識者もいます。
【鈴木】まさに「象徴」化されているのでしょう。" "ただ半導体に関しては、工場誘致とサプライチェーンの強靭化はほとんど無関係ですし、そもそも日本が最先端の半導体を必要としている、という事実もありません。"
「経済安全保障で日の丸半導体復活」の欺瞞 〜 本当に力を入れるべき先端産業とは – SAKISIRU(サキシル)
この記事は面白くて、「経済安全保障」と「エコノミック・ステイトクラフト」についてのケーススタディを引用しながら半導体産業についてふれています。
「経済安全保障」とは、危機的な事態が起こった時に自国で供給をまかなえるかというようなことで、「エコノミック・ステイトクラフト」は輸入規制などで相手国に圧力をかけることだといいます。
記事中では「エコノミック・ステイトクラフト」(経済)で相手国の(政治)スタンスを変えることはできないとしていますが、逆はあり得るかもしれません。アメリカが日本に結ばせた「日米半導体協定」によって、日本の半導体産業は大きく力を削がれてしまいました。
しかし世界シェア1位の韓国サムスン電子は、10年以上トップの座を守り続けています。アメリカによる圧力はないのかというと、そこにはそれなりに理由があるようです。
日本のDRAM、「安すぎる」と非難され、やがて「高すぎて」売れなくなる(11ページ目) | 日経クロステック(xTECH)
韓国製DRAMの輸出先がアジアであったこと。米国ブランドの製品に組み込まれるなど貿易摩擦を回避したこと、半導体の消費市場が次第にアジアへ移っていったことなどが、アメリカによる干渉を避け、韓国が半導体産業のトップシェアを走り続けている理由のようです。
80年代の日本にこのことを気づけたかというと難しいように思いますが、アメリカによる経済的圧力に屈しなければならなかった日本と、そこをうまく回避できた韓国とを比べると、経済的主体性を保つことがいかに大切かを知らされる思いになります。
そして今ふたたび「日の丸半導体の復権」ということになっていますが、それ以前に、果たして日本の経済的主体性は保たれているのでしょうか。
日本にとっての中国がアメリカを凌ぐ貿易相手国であることは先に述べたとおりですが、その中国と政治的緊張関係は年々増す傾向にあります。中国による台湾有事を懸念して第一列島線(南西諸島)における軍備強化を急いでいる日本では、防衛省が今後、防衛予算をGDP比1%から2%へ増やしたいとしています。
特集:東芝と経産省 失敗の本質 2017年6月20日号 - 週刊エコノミスト
たとえば、2011年度に防衛省がアメリカから対外軍事有償援助制度(FMS)を通して輸入調達した金額はおよそ600億円であったものが、15年度にはおよそ4,500億円、16年度にはおよそ5,000億円。12年度から16年度の5年間の総額は約1兆3,900億円に上っている。"
米国から高額兵器を買いまくることを同盟強化と勘違いする愚:朝日新聞GLOBE+
東芝はリーマンショック後の世界的景気後退や米原子炉技術大手ウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニー(WH)買収の失敗により経営難となり、2015年には粉飾決算が明らかになって、2017年、上場廃止の一歩手前までいきました。同年、半導体メモリ事業の売却を決定し、2018年、日本の半導体産業をけん引してきた東芝は半導体事業そのものを失うこととなったのでした。
東芝のWH買収には「原子力ルネサンス」と称して原発推進政策を進めていた経済産業省も深く関わっていたとされ、ここでも国の方針が半導体産業に大きく影響したと言えるでしょう。
2010年代になり日本はアメリカに軍備補強を求められるまま、思いやり予算の増加や戦闘機など各種兵器の輸入を続けています。'86年の「日米半導体協定」から36年が過ぎた本年ですが、日本は本質的に変化することができているでしょうか。
かつて半導体産業の最先端に立った日本は、80年代半ばから坂道を転がり始め、その間たくさんのものを失ってきました。再びの復権を語るとき、私たちの社会の構造の根本を果たして変えることができるのか。その内省のうえに立った政府の方針なのかということを、今一度問うことが必要ではないでしょうか。
その他、参考
「円高は一企業の努力でカバーできない」エルピーダ社長の会見 - (page 2) - CNET Japan
福島の事故を受け、国内での原発建設は絶望的になった。海外でも原発の安全基準は大幅に引き上げられ、原発ビジネスは儲からない事業になったが、原発輸出が「国策」である以上、東芝の原子力部門に縮小や撤退の選択肢はない。あるのは突撃のみ。儲からない原発の穴を隠すため、東芝は全社を挙げて粉飾決算に励んだ。"
東芝を“原発地獄”に引きずり込んだ首相の右腕官僚 | Business Insider Japan
2次元の半導体テクノロジーは限界に達しつつある。今後、さらに回路が薄くなるにつれ、早ければ10年程度で、電子がシリコンの壁を突き抜ける量子トンネル現象と呼ばれる状況が出現し、限界に突き当たる。だが、3次元構造であれば「30年間、理論的限界を心配する必要がなくなります」と舛岡は言う。"
※2002年の取材を2015年に日本語翻訳した記事。
日本の「忘れ去られた英雄」 フラッシュメモリを開発した男、舛岡富士雄 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
舛岡富士夫教授「日本発の三次元半導体で歴史を創る」|【Tech総研】