宮古島市立図書館 郷土の歴史と文化講座「サンマデモクラシー」と下里ラッパ(恵良)

アメリカ統治下時代の沖縄でおこった「サンマ裁判」を軽妙な語り口で綴ったドキュメンタリー「サンマデモクラシー」。映画を撮った山里孫存監督を講師として迎えて、市図書館ブラウジングコーナーでの文化講座が行われました。

映画を見た人はご存じ、サンマ裁判の影の立役者として活躍するのが、旧城辺町西城出身の下里恵良さんです。

サンマ裁判には弁護士として関わりましたが、沖縄立法議員としても活躍しました。
サンマをめぐる裁判の影響は大きく、保守政治家ながら、沖縄が本土復帰へ向かう時代の熱量に貢献した一人と言えそうです。

取材のスタートとなった新聞の小さな記事。ほんの数行の新聞記事の向こうに、さまざまな人間ドラマが隠されていました。
とりわけ山里監督の興味を引くこととなったのは、古い新聞では、文字がつぶれて読むことができなかった弁護士「下里恵良」の人物像だったと言います。

名を志良と読み違えたことから、なかなか辿り着くことができなかった下里恵良なる人物。
社大党の委員長も務めた仲本安一さんへ、一問投げれば三時間話が続くというインタビューの中でその名前を聞いたとき、ついに行き当たったと鳥肌が立ったそうです。

下里恵良さんについては追想集が出版されているほど、エピソードが豊富な人物だったようです。そして取材を重ねる中でも、「下里恵良」を紐解けば、人の縁が次々と紐解かれていくようでした。

遠く新潟の地へつながり、先島地方への海底ケーブルへと話がつながっていくのですが、それはまた山里監督が沖縄テレビのオウンドメディアでまとめる予定とのことでしたので、楽しみに待ちましょう。

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また、旧城辺町友利出身の友利高虎さんのお話も楽しく聞きました。下里恵良さんといい、豪胆でからっとした人物像は、周りを見渡せば思い当たるものがあります。またそうした中でも、平良修牧師のような凛とした人物もあり、沖縄がアメリカ世から離脱していく力に、宮古島のアララガマの精神があったことを感じさせます。

長らく続いた人頭税を終わらせたのも、宮古島からの請願が大きな力になりました。戦時中、軍馬として集められ、姿を消した日本在来馬のうち宮古馬が今でも残っているのは、宮古島の人々が生活に必要な馬を取り上げないよう声をあげたからという話もあります。

体制にあらがう強さを、誇りに思いたいと感じられた文化講座でした。

下地恵良さんは、晩年は宮古島城辺町に戻り、町役場の助役を務められていたそうです。
ちなみに友利高虎さんは城辺町長を務めています。

当時、城辺町役場に居た父に当時の話を聞くと、下里ラッパというあだ名から転じて「むかし宮古島でホラ吹き大会が開催されたことがある」という話が出てきました。

いったいどんな大会だったのでしょう。宮古諸島の島々に、宮古本島から橋を架けると言った人がいて、それが今、池間、来間、伊良部と近隣の島々に大橋が架かって、吹いたホラが現実になったのだとか。大ぶろしきを広げることも時には大切ですね。

山里監督のお話の中に出てきた魅力的な書籍「下里恵良追想録」、そして下里さんが若かりし頃、熊本から故郷を偲び書いた「沖縄はどうなる」。二つの書籍は宮古島市立図書館に収蔵されているそうです。

「沖縄はどうなる」は、コピーしたものを貸出可能ですが、12月にスタートする電子図書館の貸し出しリストにも入っているそう。

素晴らしい映画の講演から、市図書館の素晴らしい蔵書の話まで繋がって、新聞、書籍から浮かび上がる先人の生き様に思いを馳せる冬の夜でした。